鎌倉殿の13人
第27回 2022年7月17日放送
本編タイトル「鎌倉殿と十三人」
紀行コーナー:永福寺跡(神奈川県鎌倉市)
はい、またまた遅くなってしまいました。今回はついに十三人の合議制の話でしたね。筆者は判官贔屓のためかついつい頼家さんを応援してしまうのですが、北条家の北条家による北条家のための吾妻鏡が下敷きになっているお話なのでどこまで三谷幸喜さんが脚色してくれるのか、してくれないのか、楽しみに見たいと思います。そういえば十三人の紹介の時に義時さんは江間義時と言っていた気がしました。北条から二人は角が立つということでしょうか。それから近習の頼時(泰時)は江間太郎と言ってましたね。江間で呼ぶのが当時の実際に近いのだろうと筆者は思うのですが視聴者の多くは北条と思っているのではなかろうかと。ここで江間と呼ぶならこれまでも江間と北条を区別しておくべきではないかと小一時間。。。ま、細かいですね。
では今回も紀行コーナーのアクセスを見ていきましょう。
今回もアクセス自体は難しくないですかね。鎌倉駅から前回の源頼朝の墓の最寄りへのバス[鎌23][鎌24][鎌20][鎌36]のうち、[鎌20]で終点まで行けば最寄りの「大塔宮」に着きます。今回は[鎌20]の一つの系統に絞られますし、終点まで行けば良いということで、行きの鎌倉駅からも分かりやすいですよね。前回より鎌倉駅からの距離もありますから上記公式の案内通りバスで行くのが良さそうです。
下のGoogle My Mapsでは鎌倉駅、鶴岡八幡宮、「大塔宮」バス停、永福寺跡をマークしています。
永福寺跡(鎌倉市)
まず永福寺ですがここの永福寺は「ようふくじ」と読むようです。また永福寺は各地にありますので(鎌倉市)を付けないと一つには定まらないですね。とはいえここはお寺は残っていなくてお寺の跡を整備したようですので「永福寺跡」まで書けばほぼここの永福寺になりそうです。前回、神社やお寺は残りやすいと言っておいて直後に残っていないお寺の跡が紹介されるということで面目ない感じですが、まあ頑張っていきましょう。ここは当時の建物は残っていない跡地なんですが、公園のようになっていて浄土庭園の池とかも再現されているようです。上級者向けというほどではないかも知れませんが、それでも観光地という感じでもないようなのでそれは覚悟しておいた方が良さそうでしょうか。公園に行く感じですかね。平泉のお寺を参考にしているようで当時の平泉はやっぱりすごかったんだなあと再認識しました。
ではバスから見ていきましょうか。
京浜急行バス鎌倉駅周辺路線図
鎌倉駅から[鎌20]で終点の「大塔宮(だいとうのみや)」バス停まで行けばOKです。大塔宮(だいとうのみや)というのは護良親王のことで鎌倉時代の終わる頃の人ですね。すぐ近くの「鎌倉宮」に祀られていて、鎌倉宮そのものを大塔宮(だいとうのみや)とも呼んだりするようです。鎌倉宮は近代社格制度で官幣中社ですからなかなかの格だと思います。こちらは神社自体も残ってますしね。おっと、横道にそれてしまいました、永福寺跡に戻りましょう。
大塔宮バス停の時刻表が以下のリンクです。1時間に3本ですね。まあこれだけあればそんなに時間を合わせる必要もないかと思います。
大塔宮バス停時刻表
下のストリートビューが「大塔宮」バス停になります。ロータリーのようになっているところにバス停があります。終点なのでここでぐるっと回って折り返すのでしょうね。また手前に「官幣中社鎌倉宮」という石碑があるのですが見えるでしょうか。鎌倉宮はすぐそばですね。
「大塔宮」バス停から永福寺跡までは徒歩5分強と思いますが、Google Mapsでそのまま永福寺跡を行き先にするとストリートビューのない道に行ってしまうのでちょっと修正したルートが以下になります。
上のルートで行き先になっている永福寺跡の入り口のストリートビューが以下になります。
門についている看板の一番下に「史跡永福寺跡にはトイレがありません。」と書いてあります。はい、まだあまり観光地化はされていないので気をつけましょう。
上記の大塔宮バス停と永福寺跡入口のストリートビューの方向を以下のGoogle My Mapsに書いておきます。
モデルルート
さて、モデルルートですけれども、前回に続いて鎌倉駅ですからねえ。今回は省略にさせてもらおうかと思います。何か思いついたら追記するかもです。あしからず。。。
それでは今回は少し短いですがこの辺りで。
過去の調査リストはこちらから
taiga-kikou.hatenablog.com